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山形県南陽市金山字立石5202の地に、宥明長南社(ゆうめいちょうなんやしろ)という新しい社が完成し、8月7日、竣工祭と御霊入れの神事が執り行われた。(写真右=神事の模様)
当日は南陽市萩にある髙橋宥明上人顕彰会(加藤茂会長、吉野公民館内)会員や同金山地区の地元在住者ら16人が出席した。建立者である岐阜県高山市国府町八日町712にある宗教法人六次元会の山本貴美子代表は、新型コロナの状況下のため、当日の出席は見合わせ別途参宮する予定。
(写真左=高橋宥明上人)写真提供 宗教法人六次元会
宥明長南社は、現在の山形県南陽市萩赤山の出身で、空を飛ぶ、投げ筆、水面を歩く、大勢の病人を治すなど、稀代の霊能力者として知られる高橋宥明上人(本名高橋道四郎、1858~1914)と、現在の山形県鶴岡市旧高畑町(たかばたけまち)の士族の家に生まれ、14年間の断食断飲を成し遂げ、虚空から笛・鈴などの音楽が聞こえ、空ビンに病人に合った水薬を出すなど、多くの人を救った長南年恵(1863~1907)、そして同地にあった龍口神社にお祀りされ、天照大神の三女で高橋一族の先祖とされる市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の3体を祀る。
(写真右=長南年恵、右側)写真提供 宗教法人六次元会
神事は南陽市宮内にある熊野大社の北野達宮司が執り行い、祝詞奏上、玉串奉奠、御霊入れが行われた。御神体には、高橋宥明上人生誕地から採取された石が据えられた。神事終了後に、北野達宮司が宥明長南社の由来、髙橋宥明上人顕彰会の加藤会長が六次元会の山本代表との出会いや社の建立に至る経緯などについて挨拶を行った。
加藤氏によれば、平成19年10月、山本代表が宥明上人を訪ねて南陽市を訪問した際、加藤会長らに出会い、宥明上人が京都に長くいたこともあり地元でもあまり知られていないことから、南陽市民らにその足跡を知ってもらう活動に取り組むなどの話が進み交流が始まったという。翌平成20年11月に、髙橋宥明上人顕彰会が設立され、山本代表が記念講演に招かれた。
平成26年10月、六次元会は加藤会長らに、髙橋宥明上人の生誕地に適地を求めて神社を建立したい旨を伝え、同顕彰会会員の高岡亮一氏が今回建立した場所にあった龍口神社の氏子総代である高橋武一さんから、龍口神社の氏子の後継者がおらず社殿などの建物も老朽化して危険と聞き、六次元会に譲渡する方向で話し合いが進んだという。
その後、六次元会側から土地内に古くからある祠なども共に大切にお祀りすることの提案を受けた。龍口神社は熊野大社末社厳島神社に合祀し土地は六次元会に譲渡する運びとなった。
神社は令和2年6月に建築を着工し、同年度中に完成予定だったが、新型コロナの影響を受けて、令和3年8月に完成を見た。造営は高山市にある有限会社渚工務店(荒井英明代表取締役)が建築材料を高山市から搬入し組み立てたもので、伊勢神宮の内宮の様式を備えている。
神社は南陽市宮内にある南陽病院から3キロメートルほどの小滝街道添い右手にあり、道路からは真新しい立派な神社が見えることから、南陽市金山の地に新名所が誕生した。