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竹田 歴史講座

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書評「日本型」育英事業の思想 尚武と錬成の近代

1 著者は、1971年群馬県に生まれ、明治大学大学院博士後期課程修了。博士(史学)。現在、山形県立米沢女子短期大学日本史学科教授を務める。
 米沢市では、明治22年に伊東忠太らが発起人となり、発足した米沢有為会が今も130年以上の歴史を重ねながら大学生の育英事業を行っている。著者にとっては、足元に育英事業を実践する団体の研究対象が存在する。
 著者は、明治期から戦前期の就学支援事業は、教育の機会均等の実現ではなく、優秀な青年男子を東京などの都市の高等教育機関に就学させる「育英」事業として行われ、育英団体が所在する郷土の発展を図ることが目的だったと結論づけている。そしてそれは学校を卒業しても、その青年と団体の関係は続き、貸与された学資の返済後も団体の会員や、郷土の後輩のために尽力する責務があった。
 米沢有為会も同様であるが、その「育英事業」に大きな影響を与えたのが、旧藩や士族による「武士の育英団体」としての性格であった。明治以降、旧藩士の子弟は学資金援助や住まいの寮などを提供されて、高等教育機関や軍関係の学校を目指した。その恩恵に浴した青年たちは、報恩の観念を持ち続け、育英団体が理想とする旧藩が持つ歴史や伝統といったものを受け継いだのである。米沢有為会も明治42年に上杉家から土地が寄贈され、東京に寮が建設され、その後に仙台、他にも拡げられた。
 大正期に入ると、大衆社会の到来と教育の拡大が進み、欧米型の公費による奨学金の実施を求める要望が高まっていく。先の大戦中は総力戦を戦うために「皇国民」を作り出すための事業に変化していった。
 本書の目的は、これまで近代日本の就学支援事業の源流がどこにあったのか、どのような思想を持って経営されてきたのか、どのような役割を果たしたのかを明らかにしようとするものである。
 米沢有為会を含む国内の育英事業の歴史や武士の育英事業の問題点をピックアップしたが、それは武士の育英団体が、明治以降の近代日本のキーワードの一つにある「富国強兵」という言葉にあるように、軍事を重視する価値観を持つことで、育英団体と支援を受ける学生のお互いが発展してきたことである。
 著者は、「日本型」育英事業の思想が、武士の育英団体が理想とした伝統を土台にしたことで、結果的に軍人の輩出や戦争協力につながる国民の育成などにつながっていったという側面を指摘している。明治時代の米沢有為会会長には、海軍関係の軍人の名前を見られる。第2代会長は海軍の小森沢長政、第4代会長は、海軍大将(連合艦隊司令長官)の山下源太郎が就任している。米沢は海がないにもかかわらず、「米沢海軍」と言われるほど多くの軍人を輩出したが、これなどはまさに米沢有為会が果たした役割の一端を示す例と言って良いのではないか。(米沢日報デジタル 成澤礼夫)
 
著 者 布施賢治著
発行所 株式会社日本経済評論社
発 行 令和4年10月28日発行
価 格 5,400円+税

(2023年1月12日15:15配信)