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新々刀の祖で、刀匠 水心子正秀(1750〜1825)が生まれた南陽市元中山諏訪原で、正秀の祥月命日である9月27日、「誕生の地記念碑除幕式」が行われました。主催したのは、刀匠 水心子正秀 誕生の地記念碑除幕式実行委員会(共催 刀匠 水心子正秀 没後二百年記念事業実行委員会)で、刀工 水心子正秀 没後二百年記念事業の一環として取り組んできたもので、同実行委員会は今年5月以降、6回にわたり会合を持ち、準備を重ねて来ました。
除幕式では、諏訪神社宮司により神事が執り行われ、参列者代表が玉串拝礼を行いました。つづいて、誕生の地記念碑を前にテープカットと、記念碑と説明看板の除幕、さらに記念碑への献花が行われました。記念碑は、株式会社イトウが所有する土地に建立され、整備費用などは、ガバメントクラウドファンディングなどにより全国から集められました。石碑に彫られた文字は黒色が埋められて鮮やかです。また記念碑で使用された石は、正秀が生まれた元中山の隣の集落、釜渡戸(かまのはた)で採れた「金山御影石」と呼ばれるもので、1億1900万年前の花崗岩です。山形市にある文翔館(旧山形県庁)の土台と外壁にもこの石が使用されています。
柴田正人南陽市長は、整備にあたってガバメントクラウドファンディングで全国の刀剣を愛する多くの人々からの温かい支援と協力に感謝の言葉を述べました。
竹田栄寿実行委員長は、新々刀の祖と仰がれる刀匠 水心子正秀が日本刀の歴史を変え、今後、この記念碑を通して、新しいものが生まれることへの期待を述べました。芳賀道也参議院議員、遠藤榮吉南陽市議会議長が祝辞を述べ、最後に参加者は記念写真撮影を行い除幕式を終了しました。
当日は、南陽市中川公民館において祝賀会が行われたほか、同元中山にある永雲寺で、上杉神社稽照殿館長 角屋由美子氏による記念講話と正秀二百一年忌法要などが行われました。
水心子正秀は、12歳頃に赤湯北町の母の生家に移り住みに、本家筋の外山家で野鍛冶修行を始め、18歳の頃までに長井の吉澤三次郎に刀鍛冶の基本を学びました。18歳の時に山形城下に移り住み、山形藩士の目に止まり、名工への弟子入り修行を勧められました。22歳の時に武州八王子の刀工宮川吉英に弟子入りし、3年で山形に戻り、山形藩に召し抱えられました。31歳の頃から全国を巡り、古刀の名工の子孫を訪ね歩き、失われた技術を学びました。68歳の時に、備前伝を基礎とした復古刀の作風を確立し、著作を発表、後進の育成に尽力しました。
76歳の文政8年に江戸浜町で没し、西光寺に葬られました。