NPO法人三條かの記念館(三條貞夫館長、米沢市城南1丁目)の開館25周年記念事業として、9月18日、同館で柳生新陰流講演会と演武会が行われました。
戦国時代、剣聖ともいわれ、「新陰流」を創始した上州(群馬県)の「上泉信綱」(1508?〜1577)は、弟子となった大和(奈良県)の「柳生宗厳(むねとし)」(柳生石舟斎、1527〜1606)の才能を認め、後継者として新陰流のすべてを相伝しました。
その後、上泉信綱の子孫は戦国武将上杉家に仕え、同家とともに米沢に移りました。一方、柳生家は江戸と尾張に分かれ、徳川家の兵法指南役となり、尾張の柳生家は代々流祖以来の教えを守り伝えて、「柳生新陰流」として現在に至っています。
平成11年(1999)、「信綱」の子孫である上泉一治氏(米沢市)は、「宗厳」の子孫である柳生延春氏(名古屋市)を訪れ、戦国時代以来、436年振りに末裔同士が再会し、その後、両家の交流が始まり、毎年米沢市で柳生会の合宿が行われています。
この日の講師である柳生耕一平厳信(やぎゅうこういちたいらのとしのぶ)氏は、昭和27年、東京都に生まれ、18歳の時に父方の祖母の甥にあたる柳生新陰流兵法第21世宗家、柳生延春厳道氏に入門し、平成14年に宗家養子となり、平成19年に第22世宗家、第16代柳生家当主を継承しました。
講演では、「尾張に伝わった『柳生新陰流兵法』〜武道の精神〜」と題して、450年以上の歴史を有する柳生新陰流の武道精神はどのように伝承され、現代社会でどのように活用されているかについて述べました。
続いて、柳生新陰流の極意を体現した演武会や体験教室が行われました。