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竹田 歴史講座

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殉教キリシタン公家、山浦玄蕃作とされる「こて絵」発見



 

 江戸幕府によるキリシタン迫害を逃れるため、寛永11年(1635)、米沢藩に叔母桂岩院(初代上杉景勝の継室)の縁を頼って来たのち、上杉一門の山浦家を継ぎ、承応2年(1653)、キリシタンのゆえに幕府の命で米沢で処刑された山浦玄蕃作とされる「こて絵欄間」5点が、このほど高畠町上和田にある和田民俗資料館で見つかりました。
 山浦玄蕃は、現在の川西町大舟にある須貝家に7年間匿われていましたが、時々、須貝家の親戚にも遊びに行き長逗留したとされ、お世話になったお礼に、あるいは家の新築に合わせて山浦玄蕃が作って贈ったのではないかと考えられます。大きさは幅が180センチ、高さが60センチあり、5点のうち1点は恵比寿様と魚が描かれてあり、イエス・キリストのもとで一番弟子となった漁師ペテロを描いている可能性があります。
 和田民俗資料館の建物は、もともとは米沢市六郷一漆の古藤家のもので、数十年前に現在地に移築されました。こて絵欄間は仏間と床の間の間に置かれています。
 今回の発見は、米沢市田沢地区にある「こて絵欄間」の新聞記事を見た米沢市六郷在住の男性が、田沢地区で調査に当たった米沢市芸術文化協会副会長の清野春樹さんに話したことで発見に到りました。
 清野さんは、「山浦玄蕃の足跡が置賜のあちこちにあることがわかりました。日本のキリシタン文化の研究に一石を投じるものとなるのではないかと思います」と述べています。これまで置賜地方で、山浦玄蕃作の「こて絵」は計10点発見されています。