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著者の清野春樹氏は、昭和24年米沢市生まれ。神奈川大学経済学部を卒業。東海大学山形高等学校に長年勤務し、定年後は同校の非常勤講師。現在、置賜民俗学会副会長、米沢市芸術文化協会副会長を務める。文芸同人誌『杜』『梟』代表。
平成18年長編小説『川に沿う邑』で、第7回歴史浪漫文学賞大賞受賞。令和3年松岬賞、令和3年度米沢市芸術文化協会賞を受賞。主な著書としては、山形歴史探訪1〜4、『田沢郷土誌』、『かくれタウンの猫の家』、他に、山形歴史探訪5(共著)。
清野氏は米沢市芸術文化協会会誌である『米沢文化』に、これまで7回(2023年vol.52まで)にわたり、山形県内のアイヌ語地名に関する寄稿を行ってきた。
アイヌ語と聞くと、北海道に住むアイヌ民族の言葉というイメージがあって、東北とは無縁のような気がするが、弥生時代に鉄器の技術を持って日本に渡来してきた人々よりも先に、縄文時代にすでに日本の地に住んでいた人たちがいた。エミシ(蝦夷)と言われた人たちで、本州東部とそれ以北に居住し、大和朝廷への帰属や同化を拒否した集団を指す。
大和朝廷は、蝦夷地と言われた東北を支配するための重要拠点として、出先機関である「多賀城」を置いたほか、蝦夷地を治めるために各地に「城柵」を築いた。蝦夷地の人たちは大和朝廷に反旗を翻し、現在の岩手県奥州市付近に住んでいたとされるアテルイのように戦ったが、やがて征夷大将軍坂上田村麻呂によって打ち破られ、東北は大和朝廷の支配下に置かれることになった。
現在私たちが使用している地名は、何かしらの意味を持って人々によって長年使われてきたものである。そこには、歴史的な意味があって、それを使うことが人々の共通の利益や理解につながることが必要である。
清野氏は、アイヌ語から地名の語源を調べていったが、そのプロセスはまさに理論的で、誰もが容易に理解でき納得させるものである。まさに「目からウロコが剥がれる」という言葉がぴったりである。
例えば、遊佐町の「万部」という地名は、アイヌ語では「サマンペ」で、「カレイが集まる」という意味だそうだ。このようにアイヌ語地名を紐解くと、一挙にその意味と背景などの世界が広がっていく。そしてそれが理解されると、今まで知られてこなかった豊かな歴史や、自然と人間の関係というものが直線状にピーンと結ばれてくる。大和朝廷によって、東北から蝦夷の文化は消し去られたかのように思われたが、実は地名の中にそれはしっかりと残されていたのである。
本書は5章からなり、1章ごとに置賜地方、村山地方、最上地方、庄内地方のアイヌ語地名を紹介し、最後の第5章で山形県のアイヌ語地名の特徴と研究をまとめている。置賜地方で100、村山地方で100、最上、庄内で100の計300のアイヌ語地名を紹介している。本書には、写真と地図などがふんだんに使用されていて読みやすく、興味を引く構成になっている。
私の周りではアイヌ語を研究する人は清野氏以外は稀有である。しかも、これまで山形県内のアイヌ語地名に関する書籍を見たことがない。全くの未知の分野であり、前人未到の山に登るようなものである。従って米沢市に清野氏のような存在がいることは何とも心強いと言える。
このほど、清野氏がこのような本を発行したことは、これまでの清野氏の民俗学、文学、歴史などへの基礎的な幅広い学問領域があったことや、アイヌ語に対する熱い眼差しと好奇心がもたらした、まさに金字塔と言えるものである。清野氏のアイヌ語研究を通して、置賜地方のみならず山形県や東北の地域史研究が一層深まることを期待したい。(書評 米沢日報デジタル/成澤礼夫)
著 名『山形県のアイヌ語地名』
著 者 清野春樹
発行者 清野春樹 〒992-0054 米沢市城西3−9−6
TEL 0238-23-1729
発行日 令和5年3月1日初版発行
定 価 1,500円+税
(2023年4月13日16:15配信)