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竹田 歴史講座

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書評『上杉鷹山の藩政改革と金主たち       〜米沢藩の借金・再生史(改訂版)』

yozn-1 著者の加藤国雄氏は、昭和21年、山形県米沢市に生まれ、東京工業大学理工学部を卒業後、野村総合研究所に入社、研究員としてシンクタンク業務に従事して金融工学の理論開発・実践に携わってきた。同研究所退職後は、大阪経済大学経営情報学部専任教授として教壇に立ち、退任後の現在は公益社団法人・米沢有為会の代表理事・副会長として育英事業団体の運営に参画している。
 さて、加藤氏の出身地米沢は、江戸時代を通して米沢藩が260年余り支配した土地である。そのきっかけとなったのが、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの際、上杉景勝や直江兼続は西軍の石田三成に与したことで、徳川家康により会津120万石から置賜(米沢盆地)、伊達・信夫の30万石に減封されたことによる。その際、家臣の召し放ちは行わず、6,000人とも数えられる家臣がそのまま付き従った。そしてその30万石も3代藩主上杉綱勝が寛文4年(1664)に世嗣ぎを決めずに急死したため、さらに半分の15万石に減封され置賜のみの支配地となった。
 万治元年(1658)、綱勝の妹三姫が吉良上野介義央に嫁いでいたため、上杉家は吉良夫妻の息子綱憲を迎えて第4代藩主に据えて、米沢藩は取り潰しを免れた。しかし、江戸時代中期には20万両(200億円)もの借金を抱えることになる。第8代上杉重定の時代には、米沢藩の領土を幕府に返上しようというまでに藩の財政は窮乏を極めた。そのような中で綱憲のひ孫に当たる治憲(鷹山)を高鍋藩から養子に迎えられた。鷹山は17歳で第9代米沢藩主に就任し、藩政改革がスタートする。

 筆者は、上杉鷹山関連のテレビ番組で、米沢藩の借金が現在の価値で200億円と聞きその巨額さを実感し、ファイナンス(財政・金融)面から定量的研究を思い至ったという。それはどのように米沢藩財政が破綻寸前まで悪化したのか、そして鷹山改革のどのような施策で財政を立て直したのか、さらに米沢藩の赤字財政の資金繰りを誰がどのように応じたのか、の3点だった。
 本書が他の上杉鷹山に関する書籍と根本的に違うのは、書名を見てもわかるように、米沢藩の借金に応じた金主(大名に金を貸した者)に焦点を当てたことである。その金主は単なる金貸しではなく、上杉鷹山の藩政改革を理解し、熱心に応援する支援者でもあったのである。著者は米沢藩の資金繰りの中核を担った江戸・三谷家、酒田・本間家、越後・渡辺家、三輪家の4大金主を主に扱っている。そして各家に保管されてあった取引帳から貸付の収益率などを推計した。
 本書の構成は、序章米沢藩財政の概略史、第1章15万石米沢藩の立地と産物、第2章鷹山以前の米沢藩;財政破綻への過程、第3章上杉鷹山の3期にわたる藩政改革、第4章米沢藩を支えた金主たち、で構成されている。
 特に第2章では、鷹山以前の米沢藩における財政破綻の過程を非常に緻密に分析していることだ。その中で、幕府による諸藩に対する手伝い普請(軍役を含む)は、諸藩の財政を疲弊させるために行わせたものだが、徳川家康に刃向かった米沢藩上杉家に対しての手伝い普請は過酷を極めたことがわかる。米沢藩による江戸城の普請や軍役は1603年から1863年まで32回に及び、手伝い普請の平均負担額は判明しているものの平均は2.9万両にも達している。特に江戸初期の1650年までの手伝い普請は21回に及び、その総計は61万両になることから、これらの膨大な出費により米沢藩の財力は徹底的に弱められ、借金は雪だるまのごとく膨らみ巨額になったわけである。上杉家を救った吉良との付き合いにより藩財政が傾くほど多額の出費を強いられたという私の認識は正しいものではなかった。米沢藩財政は吉良との関わり以前に、江戸幕府によって恣意的に急激に悪化させられたという方がむしろ正確である。

 本書を見て気づくのは、本文中に非常に多くの数字が出てくることである。財政や人口動態、幕府による手伝い普請、吉良家支援など、数字が次々と出てくる。数字は嘘をつかないし、誰が見ても客観的である。そして説得力がある。
 米沢藩にお金を貸した4大金主は、実際に多くの捨金(債権放棄)を行っているが、債権放棄をしても元金以上の返済金を得ていた(元はとれていた)と述べているのは興味深いことである。ということは、利子が高かったということでもあるが。上杉鷹山と4大金主の信頼関係があったことも背景にはあるだろう。
 著者は倹約を率先垂範して改革を誘導した上杉鷹山の存在なくして米沢藩の財政再建の成功はなかったと述べている。上杉鷹山は、徳川幕府による江戸初期の手伝い普請や、先代藩主たちが作った借金の返済のために、その生涯をかけて藩財政の健全化を為さねばならなかった。「なせばなる なさねばならぬ なにごとも ならぬはひとの なさぬなりけり」は、上杉鷹山の決意の表れである。大変な人生だったと思うが、晩年には幕府から表彰されたように、誰にもできないことを成し遂げたという満足感の中で死の床に就いたのではなかろうか。
 加藤氏の緻密な分析は、米沢藩の歴史や上杉鷹山研究に関わる者にとっては、大変に大きな一石を投じたものといえるものである。朝日新聞の令和4年2月26日号の天声人語でも取り上げられたことからもわかるようにいま注目されている本である。上杉鷹山による米沢藩財政再建の研究書という観点では、まさに金字塔と言えるものだと思う。(評 米沢日報デジタル/成澤礼夫)

著者・発行者 加藤国雄
発行日 2022年3月21日

(2022年9月6日17:00配信)