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竹田 歴史講座

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書評 『米沢海軍 その人脈と消長』 工藤美知尋著


yonenavy-1 米沢だけでなく、日本において、まさにこのような本がいま待たれていたと言っても過言ではない。なぜなら戦後、日本は戦前の軍国主義の反省からか、あるいはGHQによる民主主義思想教育が徹底的に効果を発揮したせいか、戦前の軍事や軍人に関する歴史に国民の関心や興味が非常に薄いと言わざるを得ないからである。先の大戦で戦地で戦った元軍人、元軍属たち、あるいは戦没者遺族、外地からの引揚者も高齢化したり、多くはこの世を去ってしまった。まさに生き証人が数少なくなってしまった。
 欧米の植民地主義に対抗した明治新政府の政治、外交を考える上で、軍事や軍人に関する歴史を忘れてはならないと思う。なぜなら人間の歴史は繰り返されるからである。現にいま、21世紀にロシアによってウクライナが侵略を受けている。ナチスのポーランドやヨーロッパへの軍事侵攻を想起させるものだ。
 したがって、軍事史から得られる教訓は、非常に大きなものがあるはずだ。第一次世界大戦の主舞台となったヨーロッパでは、英国を始め、各地に戦争博物館があり、市民は気軽に足を運んでいる。そこではどのような武器で、どのように戦争が戦われ、どれくらいの戦死者、戦傷者が出たかなどを知ることができる。あの当時は外交と戦争は密接不可分な時代だったのである。しかし、日本にはいま東京の靖国神社、鹿児島の知覧特攻平和会館など一部があるものの、戦争を体系的、網羅的に知ることができる博物館というものがない。日本国民は、かつての戦争を身近で知る機会が極めて少ないと言えよう。米沢出身の海軍大将山下源太郎の出生地には石柱が一本建立されているが、それは良い方で、ほとんどはどこで生まれたのかさえわからないのが現状である。
 さて、本の帯封に、「なぜ海のない山形県南部の米沢から多くの海軍将官が輩出されたのか」と書かれてある。これは誰しもが抱く代表的な疑問である。
yonenavy-2 著者の工藤美知尋氏は、昭和22年山形県長井市に生まれ、日本大学法学部を卒業、同大学大学院で修士過程を修了後、ウィーン大学に留学し、さらに東海大学大学院で博士課程を修了した政治学博士である。これまで『日本海軍と太平洋戦争』、『日ソ中立条約の研究』、『海軍良識派の支柱山梨勝之進』、『日本海軍の歴史がよくわかる本』、『東条英機暗殺計画』、『終戦の軍師 高木惣吉海軍少将伝』などを著し、日本の外交史、軍事の歴史に精通している研究者である。
 その工藤氏がこの本を書くきっかけになったのは、令和元年6月、米沢有為会東京支部主催の創立130周年大会で、同会名誉会長の上杉邦憲氏による「上杉茂憲公の沖縄県令時代」という講演を聞いたことがきっかけだった。その講演に触発されて、幕末維新期の米沢藩の歴史を調べるうちに、「米沢海軍」について描いてみたいと思い立ち、本書の執筆がスタートした。なぜ、米沢から多くの海軍士官が輩出したのかが工藤氏のテーマになった。長井市出身だから、同じ米沢盆地にある米沢市に対しての土地勘があるというのも幸いだっただろう。
 工藤氏はその理由として、幕末、米沢藩は佐幕派に属していたからだとする。確かに、米沢藩は奥羽越列藩同盟の一員で、戊辰戦争では新政府軍と戦った側にあった。だから米沢藩出身者が明治新政府に居場所がなかったことを理由に挙げる。薩長土肥に代表される明治新政府は、藩閥政治でそれ以外の出身者が政治の中心に上っていくのは難しい状況にあった。
 しかし、軍隊は別だった。藩閥による差別が比較的に薄い海軍士官になることで、身を立てる米沢出身者が多くいたのである。そのベースにあるのが、上杉鷹山が再興した藩校興譲館の存在があり、学問に熱心だった背景がある。また明治4年には、日本で3番目に設立された洋学舎という洋学を教える学校が米沢に設立され、チャールズ・ヘンリー・ダラスら英国人のお雇い外国人教師が招かれ、欧米の先進的な学問を若い学生に教授したという土壌も忘れてはならないだろう。
 米沢海軍の生みの親というべき人物が宮島誠一郎である。第1章では、宮島誠一郎の『戊辰日記』を紐解きながら、黎明期の米沢海軍の人脈を紹介していく。宮島誠一郎と勝海舟の出会いは、決定的である。第2章では、大正期の「米沢海軍」、第3章は、ロンドン海軍軍縮会議と「米沢海軍」、第4章は、日独伊三国軍事同盟に反対する「奥羽海軍」良識派トリオ、第5章では、太平洋戦争の中でも悲劇の軍人として南雲忠一大将をピックアップしている。南雲はミッドウェー海戦で負け、虎の子の空母、優秀な戦闘機乗りを多く失った際の現地指揮官で、サイパン島で悲劇の玉砕に至る。工藤氏はその南雲の生涯を追っている。また昭和初期から太平洋戦争時の米沢海軍の散華者21人を紹介している。第6章では、「米沢海軍」の品格を世界に伝えた工藤俊作中佐を紹介している。工藤俊作に関しては、惠隆之介氏がその著『敵兵を救助せよ』で、初めて工藤俊作の存在を世に知らしめた。
 巻末には、米沢出身海軍兵学校出身士官99人ほか、海軍機関学校出身士官19名、海軍主計官9名、海軍軍医官・薬剤官9名の名簿が掲載されている。まさにこの一冊で、幕末維新からの米沢藩の動きや米沢海軍に関わった人物とその経歴などが全てがわかるという本であり、改めて先人の偉大な足跡を辿る格好の書と言える。工藤氏に敬意を表し、その労作多としたい。(書評 米沢日報デジタル/成澤礼夫)

著 者 工藤美知尋(くどうみちひろ)
出版社 芙蓉書房出版
    ISBN978-4-8295-0840-4 C0021
価 格 2.400円+税
発行日 2022年7月26日

(2022年7月25日17:40配信)